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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)3003号 判決

原告 及川武三

右訴訟代理人弁護士 高橋茂

被告 田淵勇

右訴訟代理人弁護士 上村勇之助

同 中野富次男

同 三枝基行

主文

一、被告は原告に対し、別紙目録(一)記載の家屋のうち同目録(二)記載の部分を明渡せ。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、請求原因第一項記載の事実≪注―本件家屋部分につき期間二年とする賃貸借の成立≫は当事者間に争がない。

二、原告は、右認定の当初の契約は約定の期間満了の際終了し、昭和三六年四月上旬頃あらためて一時使用のための賃貸借契約が締結されたと主張する。しかし、甲第三号証の一(成立に争がない)のみを以つては右の事実を認めるに十分でなく、他にこれを認めるに足る証拠がない。かえつて、甲第二号証の一、二、乙第五号証(いずれも成立に争がない)に原告及び被告の各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を綜合すると、原告は、昭和三五年九月二七日被告に到達した書面で同人に対し右賃貸借契約につき更新拒絶の意思表示をし(原告が被告に対し右の意思表示をしたことは当事者間に争がない)、また同年一一月頃被告と本件家屋の他の部分の賃借人である訴外松田敏生の両名に対し、当初の約定の期間満了の際には夫々明渡されたい旨申入れたものの、右期間満了の際には被告及び松田から夫々明渡も受けられず、また被告等の使用に対し特段の異論の申出もしなかつたため、結局当初の賃貸借契約が更新されるに至つたものと認められる。

従つて、右の主張を前提とする原告の請求は更に判断するまでもなく失当である。

三、右の通りであつてみれば、第一項認定の本件賃貸借契約は約定の期間満了の際である昭和三六年四月一〇日更新され、期間の定めのないものとして継続するに至つたものというべきところ、原告は昭和三七年一二月三日これが解約の申入れをしたと主張する。

(一)  前示甲第三号証の一に、原告の本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を綜合すると、原告は昭和三七年一二月三日被告に対し口頭で昭和三八年六月三〇日限り、本件家屋部分の明渡をもとめる旨申入れたことが認められ、成立に争のない乙第三号証の一は右認定を左右するに足らず、他に右認定に反する証拠はない。

(二)  ところで、被告は、本件賃貸借契約には被告の主張第五項記載の特約≪注―原告は一方的に解約の申入をなし得ないという特約≫があるから、これに違反する右解約の申入は無効であると主張する。なる程乙第一号証(成立に争がない)によると、本件賃貸借契約につき、被告が右契約を解約しようとする場合、又は更新しようとする場合には二ヵ月前に賃貸人たる原告に対し予告すべき旨の条項があることが認められるが、原告及び被告の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、右条項は被告が初めて酒場営業をはじめるためその成否の見通しがなかつたので、もし所期の成果を挙げ得ないときには速かに右営業を廃止し得るようにすることを慮つて定めたものと認められるから(なお、被告の本人尋問の結果のうち、右条項の解釈に関し右認定に反する部分は採り難い)、右を以て被告主張の特約を肯認する資料とはなし難いし、また右乙第一号証の各条項を検討しても右特約の存在を認むべきものは存在しない。他に右特約を認めるに足る証拠はない。従つて右主張は採用できない。

(三)  そこで、右解約の申入れに正当の事由があるかどうかを判断する。

(1)  ≪証拠省略≫を綜合すると次の諸事実を認めることができ左記認定に反する証拠はない。

(イ) 原告は訴外野崎産業株式会社に対し一、五〇〇万円の債務を負担していたが、昭和三四年三月四日同会社と東京高等裁判所において裁判上の和解をし、本件家屋及びその敷地二九坪の借地権を、昭和三五年一二月末日を目標として出来る丈早い機会に、出来る丈有利に他に売却して、右債務の弁済に充てることを約したこと。

(ロ) その後右敷地の所有権は訴外柴崎勝男の取得するところとなり、同人は更に昭和三五年末頃原告から同人が右土地を更地にすることを前提として右借地権をも買受けたが、その代金のうち一、二〇〇万円は直接訴外会社に支払うこととし、右につき同会社の諒承を得、現在までにそのうち三〇〇万円を既に支払つたこと及び原告は柴崎に対し昭和三八年七月末日限り本件家屋を収去して右敷地を明渡すことを約していること。

(ハ) 原告は本件家屋部分でもと酒場営業をしていたが、昭和三四年四月頃子女の教育その他の事情から自らこれに関与することを止め、それまでバーテンとして協力してくれた訴外砂森某に報酬の意味も含めて、有利に売却出来るまでの間、これを賃貸しようとしたが、砂森は営業資金がないということでこれをことわり、かわりに被告を紹介したので被告に賃貸することになつたこと、かようないきさつであり、しかも右(イ)認定のような事情もあるので、原告は右賃貸にあたり被告に対し右事情を十分に説明したうえ、本件家屋部分に存する酒場営業用の什器その他営業設備一切を一ヵ月一万円で賃貸した賃料二年分の合計二四万円を一時に前払を受けたほかは、特に権利金、敷金等を収受しなかつたこと(なお、被告は右二四万円は権利金であると主張し、その本人尋問の結果もこれにそうが右は原告の本人尋問の結果及び弁論の全趣旨に徴し措信し難い)及び前記二、認定の通り原告は被告に対し昭和三五年九月二七日に到達した書面で右賃貸借契約につき更新拒絶の意思表示をし、また同年一一月頃には被告と松田に対し約定の期間満了の際には夫々明渡されたい旨申入れていること。

(ニ) 被告は本件賃借当時は従前勤めていた会社を辞めており、酒場営業はこれが始めてであること及び現在被告は本件酒場を経営する傍ら、その兄のいとなむ会計事務所の事務員もしていること。

(ホ) 原告は昭和三七年七月頃本件家屋のもう一人の借主である松田に対し調停の申立をし、同年一二月一日松田は原告から立退料六五〇万円の支払を受けて昭和三八年七月末日限りその賃借部分を明渡す旨の調停が成立したこと(右調停成立の事実は当事者間に争がない)、原告が松田と右調停を経るに至つたのは、松田が昭和三二年頃から賃借しており、造作等をその負担でしたという事情があつたことから立退料を要求し、その額をめぐつて紛争があつたことを主な理由とするものであつて、原告は被告に対しては、賃貸当初の事情に鑑み立退料等を支払う意思もなかつたので調停等の挙に出でず、右調停の成立した後である右(一)認定の同年一二月三日被告に対し昭和三八年六月三〇日限り本件家屋部分を明渡すよう申入れたこと。

(2)  右認定の事実によれば、原告は債務の支払のため本件家屋及びその敷地を売却することを余儀なくされたものと認められるが、右売却を出来るだけ同人の有利にはこぶためには本件家屋の賃借人からその明渡を得ることが有利であることはみやすい道理である。しかも、本件においては右(ロ)認定のような事情があるにおいてはなおさらである。そうして、原告は被告に本件家屋部分を賃貸する当初から、いづれは本件家屋は売却さるべきものであり、その際には明渡を求める旨申入れており、被告もこれを諒承した故に、右賃貸の条件も世間通常の場合に比して被告に相当有利に定めたわけであるし、賃貸後も右(ハ)認定のように明渡の要求をくりかえしていたのであるから、被告としても右賃貸借が長期にわたり継続し得るものであると考えていたとは解し得ない。かような、本件賃貸借契約に至る経緯及びその後の事情に、右(ニ)認定の被告の現在の状態を考え合せ、更に右(ホ)認定の事実に表象される、原告の本件家屋の賃借人に対しこれが明渡をもとめるについてはらつた努力と誠意をも考慮したうえで、原、被告双方の事情を彼此勘案するときは、原告が本件家屋部分の明渡をもとめるのは自らの居住のためではなくて、右の通りこれを他に有利に売却するためであるとしても、本件においては右は原告にとつて被告に対し右家屋部分の明渡をもとめる正当の事由に該るものと認めるのを相当とする。

(四)  従つて、本件賃貸借契約は右(一)認定の解約の申入により右意思表示の通り、昭和三八年六月三〇日の経過とともに終了したものというべきである。

(五)  被告は、原告の右解約権の行使は権利の濫用であると主張する。しかし、本件に顕れたすべての立証によるも、被告の右主張の前提である事実、即ち柴崎が本件家屋の所有権を取得したこと及び原告の右解約の申入れが専ら右柴崎のためにするものであることを認めることができないから、右主張は更に判断するまでもなく失当である。

四、以上認定のとおりであつてみれば、被告に対し本件家屋部分の明渡をもとめる原告の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用は敗訴の被告の負担として主文の通り判決する。なお、仮執行の宣言の申立は容れない。

(裁判官 川上泉)

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